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日本と韓国でGSOMIAを破棄されたニュースをわかりやすく解説して下さい



日本と韓国の間にあった協定、GSOMIAを破棄したことを2019年8月22日に韓国が発表しました。

今回はこのニュースをわかりやすく解説して行きたいと思います。

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GSOMIAとはジーソミアと読みまして、日本と韓国の「軍事情報包括保護協定」と言います。

一口に軍事情報と言っても様々なものがありますが、自国だけで秘密にする軍事情報や他国と共有する軍事情報などがあります。

例えば北朝鮮からのミサイルですね。
どこから発射し、どのような形で、どのくらいの飛行距離かなど、こう言った情報を共有するわけです。

日本と韓国では2016年11月23日に「秘密軍事情報の保護に関する協定」を結びました。

つまり2国間で軍事情報の秘密を共有する協定なんですが、実は日本と韓国は共にアメリカとも協定を結んでいるのです。

そして、このような軍事情報はアメリカが持っているシステムを主体にして、軍事情報を書き込んだり情報を共有するわけです。

GSOMIAのような協定は他の国でももちろんあるのですが、次のような重要な約束事があります。

「情報を提供された国は、情報を入手した国の許可が無い場合は第3国に情報を提供してはならない」

協定を結んでいない国には情報を提供した国の許可がなければ教えないよー、という事ですね。

GSOMIAは韓国から破棄されたのですが、GSOMIAが破棄されると、これがどういう状態になるか?

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日本:「アメリカさん、すいませんが韓国が提供したあの情報教えて貰えます?」

アメリカ:「韓国の許可がなきゃ教えられへんわー、ちょい待ってな、韓国に聞いてくるわー。」

韓国:「日本が知りたいですと?ダメたい。これウチの軍事情報も入ってるから教えられんたい。」

アメリカ:「悪いけどダメやったわー。」

と言ったやりとりになって非常に面倒な事になるわけですね。

仮に情報を提供して貰ったとしてもアメリカが情報を加工してから日本に提供したりと、手間がかかったりもします。

緊急時でも時間のロスとなってしまいますね。

アメリカ国防総省では、韓国へGSOMIAの破棄撤回を求める考えを示しています。

韓国としても、日本が持つ軍事情報が欲しいのですが、日韓関係が改善されない限りは難しいようです。

これが今回のニュースですね。
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2019/10/03(木) | 宗教・戦争のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)

イランがサウジアラビアの石油施設を攻撃したニュースをわかりやすく解説して下さい



2019年9月14日にサウジアラビアにある国有石油会社サウジアラムコの関連施設がドローンやミサイルによって攻撃されました。

今回はこのニュースをわかりやすく解説して行きたいと思います。

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攻撃されたサウジアラビアにある国有石油会社サウジアラムコの関連施設はこちらにあります。

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国有石油会社とは国が出資や経営、管理をしている会社ですね。国の経済を支える重要な資源の為、このように国が行う事が多いのです。

なぜ石油関連施設が攻撃されたのでしょうか?

今回攻撃をしたのはペルシャ湾を挟んだ向こう側の国、イランと言われています。
サウジアラビアとイランは非常に仲が悪いです。

その理由は「宗教」と関係しています。

サウジアラビアと同様にイランはイスラム教を信仰していますが、宗派が違います。

サウジアラビアはスンニ派(国民の85%くらい)を信仰しているのに対し、イランはシーア派(国民の90%くらい)を信仰しております。

スンニ派とシーアはイスラム教の二大宗派でして、イスラム教徒全体だとスンニ派が約8割、シーア派が1割強を占めていますね。

もともとは二つに別れてはいなかったんですが、預言者ムハンマド(アッラーという神からイスラム教を伝達する宿命を背負った人)が無くなった後に枝分かれしてしまいました。

シーア派はこのムハンマドの後継者を血統で選びました。アリーというムハンマドの従兄弟とその子孫です。

一方、スンニ派はムハンマドの教えを元に血統とか関係なく選ばれた人を指導者とする事としました。
ムハンマドが後継者を指名しなかった為、このような状態になったのです。

この二つの宗派は礼拝の数や聖地の数も違い、今も対立をしています。

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しかし、単純に宗派が違うから二つの国の仲が悪いわけではないのです。

サウジアラビアとイランには背後から支援している国がたくさんあります。

ロシア、アメリカ、シリア、イエメンと言った国が背後では喧嘩をしていて、それぞれの国がサウジアラビアとイランを支援しているので代理戦争となっているのです。

サウジアラビアとイランが決定的に対立したのは、1979年にイランでシーア派の指導者が率いて革命を起こした事にはじまります。

これが各地に飛び火してサウジアラビアでも暴動や爆弾テロ、暗殺未遂事件などの動きが広がりました。

その後、1980年になるとイラン・イラク戦争が始まってサウジアラビアががイラクを支援する側にまわってしまいました。

戦争が終わって疲弊した両国は反省して国内の復興を優先させたり、サウジアラビアが支援していたイラクが今度は両国の脅威となったので、一時はイランとサウジアラビアが仲良くし出しました。

2003年になるとイラク戦争が起こり、イラクが戦争に負けてフセイン大統領も捕まってしまいました。

今までイラン、イラク、サウジアラビアという三国がバランスを保っていたんですが、これによって共通の敵がいなくなりバランスが崩れてしまったのです。

そしてアメリカはサウジアラビアと仲が良く、イランをテロ国家と指定してる・・と言うように理由は様々ありますが、やたらと複雑な話があって両国の仲が悪いわけです。

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さて、サウジアラビアの石油施設への攻撃はドローンや巡行ミサイルによって行われました。
一時は世界の原油の供給量が5%ほど落ちました。

これについてアメリカをはじめ多くの国で「イランが関与している」と指摘しています。

ヨーロッパ諸国ではイランの核合意(核の材料になるものを持ったり、ウランを濃縮したりする行為を削減させる事を約束したこと)以降、イランをかばってきました。

しかし今回はそのヨーロッパも批判をしました。

現在では供給量が戻りつつありますが、これには重要な問題が隠れています。

ドローンのような安いもので世界の供給量5%を簡単にストップさせてしまったのです。

これは世界の安全保障を簡単に揺るがしてしまったかなり深刻な問題なのです。

これが今回のニュースですね。
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2019/09/25(水) | 宗教・戦争のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)

ノモハン事件とは何ですか?分かりやすく解説して下さい



難波宮跡の発掘現場からノモハン事件に関する旧日本軍の機密資料が見つかりました。

今回はこちらのニュースとノモハン事件とは何かを分かりやすく解説して行きたいと思います。

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難波宮跡(なにわのみやあと)は現在の大阪市中央区にあります。

大阪には難波(なんば)という地域がありますね。
難波は「なにわ」とも読んだりしますし、別の漢字を使用して浪速「なにわ」と読んだりもします。

これには諸説あります。
●浪速・・かつては川や水路が張り巡らされていて、流れが早かったので浪速と呼ばれた説
●ナ庭・・昔は魚を「ナ」とよんでいて、これに「庭(広い場所を指す)をくっ付けて「ナ庭」と呼ばれた説
●「なみはや」が「なにわ」となまり「なんば」となった説

この様な諸説の中、難波と浪速の二つの漢字があるのは1960年に発見された「難波宮跡(なにわのみやあと)」がやはり有力ではないでしょうか。

難波宮は飛鳥時代〜奈良時代にかけまして、一時的に都をこちらに移した時に作られた宮殿ですね。
(まだ詳しい調査をしている最中です。)

そしてここはかつて旧日本陸軍の第八歩兵連隊の敷地でもありました。

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この難波宮跡地を調査していた所、ノモハン事件に関する旧日本軍の機密資料が見つかったのです。

ノモハン事件とは一体何でしょうか?

ノモハン事件は日本とソ連(今のロシア)が衝突した事件です。

地図を見ますとロシアと中国の間にモンゴルがありますね。

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かつては大陸のほとんどをモンゴル帝国と言って、チンギスハン(チンギスカーンなどとも言ったりします)が支配をしていました。

その後、チンギスハンの孫であるフビライハンが変わり、モンゴル帝国を「元」と改めました。(元に改めたのは中国の行政を採用して、中国色を強めたからですね。)

元は今の北京にあたる場所に「大都」と言う首都を置いて急速に支配しました。

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元の最盛期はなんと世界の4分の1を支配しました。
(日本にも蒙古襲来と言って二度に渡り攻撃したのが有名です。暴風雨(いわゆる神風)で退却したと言われています。)

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フビライハンが死去すると各地で権力争いが起こり、政情が非常に不安定になり衰退して行きます。

そして大都は明王朝を建国した朱 元璋(しゅげんしょう(明の初代皇帝))によって滅びます。

元(モンゴル民族)は今のモンゴルがある北へ引き下がり、「北元(ほくげん)」として存続し、大都があった場所は明の首都となり、やがて非常に有名な「紫禁城(しきんじょう)」が建てられたのです。

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では明が滅び、少し時代が進みます。

紫禁城と言えばラストエンペラー、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)です。
彼は中国最後の王朝、「清朝」の皇帝です。

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溥儀が皇帝となった後、1912年に清朝が滅ぶ重大な事件が起きました。
「辛亥革命(しんがいかくめい)」です。

辛亥革命は明朝の時代を取り戻そうと言う事で起こった革命で、これにより清は滅びます。

革命後には新しく「中華民権」が設立されて、辛亥革命の指導者である「孫文」が臨時の大統領となりました。

溥儀はしばらくは紫禁城に住むことが許されます。しかしやがて軍事クーデターによって紫禁城を追い出されイギリスとオランダに保護を求めますが、内政干渉を懸念した両国に拒否されてしまいます。

ここで溥儀を受け入れたのが北京にあった日本公使館でした。

溥儀はなんとか清王朝を復活させようと日本公使館で悩みます。

その後、さらにまた大事件が起きます。
1931年に起こった「満州事変」ですね。

発端は満州にある満州鉄道を爆破した事から始まります。

遼東半島(りょうとうはんとう)という関東州にいた日本の陸軍(関東軍といいます。)が、これは中国がやったとでっちあげ、これを口実に満洲全土を占領し「満洲国」を作りあげたのです。

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地図を見てみますと、満洲国の上にソ連(ロシア)がありますね。

ここの境界線はもともとモンゴルとソ連、満洲でボンヤリと境界線が引かれていました。

しかし、日本が介入して急に境界線を引いてしまったので、それぞれの国が睨み合った形になってしまったのです。

国境付近ではパラパラと争いが起こっていましたが、やがて大きな軍事衝突が起こってしまい、ソ連と日本の仲は急速に悪くなります。

軍事衝突の発端はソ連のパトロール部隊がハルハ川を越えて東側にやって来たからと言われています。

当時、日本はハルハ川を満洲国の境界線と主張していましたが、ソ連・モンゴルはハルハ川より20kmほど東を国境線だと主張していたのです。

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これによって満州国軍(関東軍)は、ソ連軍が領土に侵入してきたと判断し、交戦状態になってしまったわけです。

日本は航空機や爆撃機で攻撃して制空権を奪います。しかし、地上戦では日本にない装甲車や大砲などをソ連が使用して、関東軍ばボロ負けします。

関東軍の死者は2万人ほどと言われ、それでも関東軍は暴走して戦いをやめませんでした。

そんな状況を日本の大本営(陸軍の本部ですね。)が「もう兵の無駄遣いだ。ヤメロ。」と言って戦いが終わり、停戦協定が結ばれました。

結局、関東軍が暴走していたずらに死者を出したと言うのが今の考察です。

これがノモハン事件です。

今回見つかった資料にはノモンハン事件の戦法や考察、「『ノモンハン』血ノ教訓」の記載などがあり、これを今後の旧日本軍の教訓にしたと見られています。

これが今回のニュースですね。
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2019/08/14(水) | 宗教・戦争のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)

イエメンで起こっている内戦をわかりやすく解説して下さい



イエメンの内戦で両軍の戦闘に子どもたちが参加していることが、人権団体の報告で明らかになりました。

今回はイエメンの内戦についてわかりやすく解説して行きたいと思います。

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中東のイエメン共和国はこの様な場所にあります。

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サウジアラビアの下にあり、人口は2892万人ほど、首都はサヌアと言います。石油や天然ガスが資源としてありますが、治安も悪く最貧国の一つでもあります。

イエメン共和国は1990年になるまで南北が分断されていた国というのはあまり知られていないかもしれません。

昔、イエメンはオスマントルコという大国の勢力下に置かれました。ただ、オスマントルコからイエメンまでは距離があったので、イエメンの首長が普通に自治を務めていました。

イエメンの目の前にある湾から上流に遡っていきますと、スエズ運河に当たります。

昔はスエズ運河なんてなかったのですが、船で物を運ぶ際に非常に遠回りになってしまうので、人工的に運河を作ってしまったのです。

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しかしながらスエズ運河を作っても、その他の航路に海賊がいたり治安が悪ければ船は安心して通れません。近くに港もあれば便利です。

そこでイギリスがイエメンにあった港町、アデンを占領してしまいます。イギリスはその後、有力な人達を引き
入れて、イエメンの南側を保護領にしてしまいました。

保護領とは内政は干渉しないけれども外交権だけは奪われた領土をいいます。外交権は国と国の間で交渉する権利ですね。

こうして、北はオスマントルコ(トルコ領)、南はイギリスの領土というように南北に別れてしまったわけです。

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第一次世界大戦が終わると、北イエメンはムタワッキリ王国という名前で独立し、南イエメンにいるイギリスを追い出す為に、アラブ連合共和国(エジプトとシリアが合体して作られた国)に加わります。

所がエジプト人を受け入れるとエジプトの政治や思想に賛同するイエメン人が増えてクーデターが起こってしまいました。

そして北イエメンはエジプトの衛星国(内政や外交が、ある国に支配された状態の国)となってしまったのです。

しかし、1970年に入ると中東戦争が起こり、エジプトは「こんな事してる場合じゃないや」となり、北イエメンから出て行ってしまうのです。

南イエメンもやがてイギリスから独立し、北イエメンと南イエメンが対立する意味もなくなってしまいました。

そして北イエメンの方が人口・経済力もある本家だった為、北イエメンに吸収される形で1990年に南北が統一されたのです。

南北が統一した事でイエメンは新政府を作りました。しかしながら根本的な問題が起こります。

資本主義で近代的なイギリスに支配されていた南イエメンは、やはり現代的な思想を持っていましたが、北イエメンは保守的で厳格なイスラム教を信じる人達が多かったのです。

北イエメンに吸収された形となったこともあり、結局は北イエメン寄りの政府が作られたので南イエメン側は不満が高まっていきました。

さて、南北統一後にイエメンの大統領となったのが、北イエメン出身のサレハさんでした。
そして副大統領となったのが南イエメン出身のハディさんです。

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サレハ大統領は軍事独裁政権を行なっていたのですが、2011年に大事件が起こります。

「アラブの春」です。

中東全土に独裁者を倒して民主化(国民が主体となる政治)を進めるクーデターが起きたのです。

これによりサレハ大統領は辞任。
そしてハディさんが大統領となりました。

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これで終わりと思いきやまだまだ続きます。

2015年になると、北イエメンにいる「フーシ派」と呼ばれる武装組織がクーデターを起こしました。

フーシ派とはシーア派という宗教から枝分かれしたような宗派です。
ハディ大統領は「スンニ派」と呼ばれる宗派です。

●シーア派・・ムハンマド(イスラム教の開祖)の正当な子孫のみを正当な後継者とする。伝統的な宗教を厳格に守る
●スンニ派・・必ずしも血縁のある者が後継者ではないと唱える。シーア派よりはおおらかに宗教を守る

シーア派はスンニ派を当然認めないので、クーデターが起こったんですね。

ハディ大統領はこのクーデターで軟禁状態となり辞職してしまい、このフーシ派(シーア派)武装組織が政権を掌握してしまったのです。

その後、

ハディ大統領は軟禁状態から抜け出して、大統領宣言し、ハディ大統領の政府軍とフーシ派武装組織で内戦となりました。

さらにはフーシ派にイランが付き、スンニ派にはサウジアラビアがつきました。
イランとサウジアラビアは仲が悪いので、代理戦争の様な形です。

これに加え、アルカイダという武装組織も入り、内戦が続いているのです。

この内戦に子供までもが銃を取って戦いをしており、人権保護団体がこの惨状を公表したのです。

これが今回のニュースですね。
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2019/07/19(金) | 宗教・戦争のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)

インドとパキスタンの仲が悪い理由をわかりやすく解説して下さい



現在パキスタン軍がインド軍の戦闘機を撃墜したり、両軍の間で砲撃するなどの軍事行動が問題となっています。

今回はこのニュースをわかりやすく解説して行きたいと思います。

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インドとパキスタン2つの国は1947年以降から実はずっと紛争を繰り返しています。

インドとパキスタンの独立記念日は1947年8月15日です。

たまたま同じ日が独立記念日というわけではありません。二つの国は非常に複雑な歴史を辿ってきたのです。

インドとパキスタンはお隣どうしです。

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昔はインドやパキスタンなんていう国名も国境もありませんでした。代わりにここにあったのが「ムガル帝国」でした。

ムガル帝国は今のインドやパキスタンの辺りを支配していた巨大な帝国です。

大きな帝国に至るまでは様々な国と戦争を行い支配して来たわけですから、ムガル帝国には当然さまざまな人種・宗教の人が住み着きました。

ですのでムガル帝国にはイスラム教を信じる者、ヒンドゥー教を信じる者などが一緒に暮らす事になったのです。

しかし次第にムガル帝国は衰退して行きます。

ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブになってからでした。彼は熱心なイスラム教徒であった為、ヒンドゥー教徒やその他の宗教徒を弾圧し始めたのです。

これによって各地で紛争が起こってしまい、宮廷の散財や軍事費の増大によって財政が圧迫、アウラングゼーブも89歳で亡くなりました。

するとヒンドゥー教徒が離れたり、各地では勝手に独立する人や地主が税を取り立てる様になったりと大混乱。

そんな時に「ボロ儲けやで!」

と、この絶好のチャンスを逃すまいと現れたのがイギリスです。

あっという間にイギリスはこの一帯を植民地にしてしまいました。
そしてイギリスのヴィクトリア女王を皇帝とするイギリスインド帝国としてしまったのです。

ただ宗教概念と言うのはなかなか変えられるものではありません。イギリスのキリスト教を押し付けても絶対に紛争が起きます。

そこで他宗教にも割と寛大なヒンドゥー教徒を利用しました。

ヒンドゥー教徒は西洋文化や英語などを受け入れて積極的に学んだ為、医者や政治家など地位や信用の置ける職業に就くことができたのです。

イギリスも扱いやすいヒンドゥー教徒を優遇するようになります。

一方、イスラム教徒はこういった西洋文化などを拒否していたので、次第に地位や信用のある職業に就く事が難しくなってしまいました。

こうしてイスラム教徒はヒンドゥー教徒とに対して反発したり、憎んだりするようになってしまったのです。

イギリスはさらにこの国の人達に対し理不尽な制約をしたり、騙したり、振り回します。

(ただイギリスは悪い事ばかりしていたわけではなく、インフラ整備や教育、差別の廃止などを行なったりしました。その証拠に今のインド人は意外とイギリスに対してはあまり悪い印象は持っていないようです。)

この状態を嘆いて独立に一役活躍したのが、皆さんもご存知の非暴力、非服従の「マハトマガンディー」ですね。

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イギリスの登場でもうどうにも収集がつかなくなった国内に対し、ついにイギリスは第二次世界大戦後に独立を認める事にしました。

しかし、インド一国にするのではなく、ヒンドゥー教徒が多数いるインドと、イスラム教が多数いるパキスタンに分けて、双方が独立するようにしたわけです。

こうしてインドとパキスタンが出来上がったと言うわけですね。

が、これで終わりにはなりません。
ここからが、1947年の独立から何度か繰り返されているインドとパキスタンの紛争の話になるのです。

ここにカシミールという地域があります。

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実はここは地元の有力者に治めさせていて、独立する際にインド領にするか、パキスタン領にするかしっかりと決めずナアナアにしてしまったのです。

これによってインドとパキスタンの領有権争いが起こり「カシミールはウチの領土だ!」となっているのです。

今までカシミールをめぐり3回も戦争が起こっています。

そして今も両国の間で戦争や紛争が起こっているというわけです。

これが今回のニュースですね。
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2019/02/28(木) | 宗教・戦争のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)

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