先日、ジャカルタ事件に関係した日本赤軍の一員であると見られる、城崎勉(しろさきつとむ)被告の裁判で実刑判決が下りました。
今回はこのニュースをわかりやすく解説していきましょう。

ジャカルタ事件といいますのは、1986年、5月14日の出来事です。
ジャカルタはインドネシアの首都ですね。
こちらにあるアメリカ大使館と日本大使館の二つにロケット弾が打ち込まれたのです。
大使館と言いますのは、国交のある外国に自分の国の「特命全権大使」という方を常駐させ、パスポートの発行や、滞在中の自国民の保護、文化交流、情報収集活動といった活動をします。
大使館にいる大使館職員を狙ったのですが、結果としては不発弾で誰も死傷者は出ませんでした。
このテロ事件に関与していたのが、「日本赤軍」という過激な「左翼テロ組織」でした。
左翼という言葉はもともとフランス革命後に出てきた言葉です。
国会の真ん中にいる議長の両隣には、右側に今まで通りのやり方を支持する人達(保守派)が、座っており、それを通称として「右翼」、反対に従来のやり方ではなく、新しいやり方を支持する人達(革新派)が左側に座っており、それを通称として「左翼」と呼んでいました。
改革と言っても、話し合いといった方法で改革をしていかなければならないのですが、中には過激な方法で改革をしようと考えている人達がいるものです。
それが日本赤軍でした。
彼らは「独自な共産主義」を抱えていました。
「共産主義」といいますのは、貧富の差をなくすために、生産物や財産などを全ての人が共有していくやり方ですね。
(どんなに働いても賃金は同じだし、全員が同じ糧(かて)を国から支給されます。)
目指すは「平等な社会」ですが、平等な社会を作るために、資本主義と戦い、彼ら独自の共産主義を推し進めようとしたわけですね。
「独自の」と付いていますが、この「独自の」というものに関しては実はよくわかっていません。
結局は、とにかく自分達の主張をしたいが為に、テロを起こしたり、誘拐をしたりして戦争ごっこをしていただけと言っている人もいたりします。
さて、今回、日本赤軍のメンバーだっと見られる城崎被告の裁判が行われ、懲役12年の実刑判決が下りました。
しかし、1986年の出来事なのに随分最近になって判決がたな・・と思う方もいらっしゃるかと思います。
というのは、城崎被告は別の国の法律で裁かれ、実刑を受けていたからなんです。
城崎被告は1996年にネパールで身柄を拘束され、ジャカルタ事件についてアメリカの法律において禁錮30年の刑を受けていました。
その後、2015年に模範囚として刑期が短縮され、釈放されたのです。
ですが、日本では城崎被告に対しての裁判は行われていないので、釈放と同時に今度は日本で起訴されて裁判が始まり、15年の求刑が検察側によってもたらされました。
(検察といいますのは警察が調べたことをさらに本当かどうか確かめる人達です。)
検察側は、目撃者の証言や指紋などから犯人で間違いないと主張しました。
(ホテルから出てきた指紋や従業員の証言から)
しかし、城崎被告の弁護人は指紋の採集過程が不明だし、真実性に欠けると主張しています。
城崎被告自身も「ジャカルタに行ったことはない、ぬれぎぬだ」と無罪を主張しています。
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ブログ管理人:大佐

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2016/11/28(月) | 時事のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)