先日、ロシアのプーチン大統領が来日し、北方領土について話し合いが行われました。
現在に至るまでの歴史や北方領土についてわかりやすく解説をしていきましょう。
(年末なのでスペシャル企画として3回に渡って解説していきます!)

北方領土の問題は、私達が生まれたときから既にロシアのものとなっているので、あまり詳しくはわからない方もいるかもしれません。
北方領土は、国後(くなしりとう)、択捉(えとろふとう)、歯舞(はぼまいとう)、色丹(しこたんとう)の四つの島ですね。

島といいましても意外に大きな島です。
特に択捉島は沖縄の約2.5倍ほどもあります。
ここの島には、アイヌという民族が住んでいました。
江戸時代頃でしょうか、そのアイヌという民族と、北海道にあった藩(大名(お殿様)が支配していた地域のこと。北海道は松前藩)が、交流をしていきました。
そうやって交流をして、日本と北方領土はつながっていき、1800年に日本の領土だと主張したのです。
しかしながら、この頃から日本とロシアはこの島をめぐって、争っておりました。
月日は経ち、1855年に「しっかりとどっちの領土か決めましょう!」ということで、「日露通好条約」という条約が結ばれたのです。
これは静岡県の下田で結ばれたので「下田条約」などとも別名で呼ばれています。
この条約によって択捉島から上はロシアのもの、択捉島から日本側は日本のものと決まったわけです。
この時代は江戸時代から明治時代へ変わる激動の時代でもありました。
しかし、ここでどちらも譲ることができなかった島がありました。
樺太島(からふととう)です。
この島、かなり大きいです。
やはり大きな島と言うのは、ロシアにとっても日本にとっても魅力的ですよね。
双方、譲れませんでしたが、こんな風に日本は提案しました。
「じゃあ、樺太島はあきらめるから、代わりに千島列島はちょうだい」
この提案でロシアも納得して、日本とロシアは1875年に「千島樺太交換条約」を結んだのです。

さあ、樺太島はロシアのもの、千島列島は日本のものと決まりました。
ところがその後、大きな事象が起こります。
1904年に起こった日露戦争です。
日露戦争で、日本は大国であるロシアに勝ちました。
そして、降伏したロシアと日本で「ポーツマス条約」が結ばれたのですね。1905年のことです。
この条約によって、なんと樺太島の半分は日本のものとすることができました。
戦勝国とはいろいろなことを有利に決められるのです。樺太島は「南樺太(みなみからふと)」と名づけられました。

その後、約40年間ほどは日本とロシアはさほど何もありません。
ただこの約40年間の間に日本とロシアの間では「日ソ中立条約」というものを結びました。
これは「日本とロシアはどちらも相手の国に攻め込むのをやめましょう」というもので、いわゆる事実上の平和条約なんですね。
ですが、またまた大きな戦争が起こります。
1941年に起こった太平洋戦争(第二次世界大戦)です。
この太平洋戦争が起こる前からロシアはある国のことを懸念していました。
ドイツです。

実は日ソ中立条約を結んだ本当の理由といいますのは、ドイツが関係しているからなんですね。
ドイツとロシアは仲が非常に仲が悪く、もしドイツが責めてきて、それに加えて日本もロシアに責めてきた場合、ロシアは挟み撃ちになってしまいます。
ですから、日本と「日ソ中立条約」をとりあえず結んでおいて、日本からは攻められないようにしていたのです。
しかし、太平洋戦争が勃発。
ロシアはアメリカにそそのかされて、日本に宣戦布告をするのです。
「日ソ中立条約」といいますのは本当でしたら1946年4月25日までは有効なのですが、ロシアはこれをこれを無視するかたちとなるわけです。
長い戦いの末に、日本は1945年8月14日に日本は降伏します。
しかし、日本は終戦を迎えた以降もロシアは日本へ侵攻します。
何故なら、太平洋戦争はアメリカとの戦いですから、日本が降服したところでロシアは関係ないのです。
こうして、同年のに択捉島(8月28日)、国後島(9月1日)、歯舞島(9月3日)とロシアは侵攻していくのでした。
次回に続きます。
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現在に至るまでの歴史や北方領土についてわかりやすく解説をしていきましょう。
(年末なのでスペシャル企画として3回に渡って解説していきます!)

北方領土の問題は、私達が生まれたときから既にロシアのものとなっているので、あまり詳しくはわからない方もいるかもしれません。
北方領土は、国後(くなしりとう)、択捉(えとろふとう)、歯舞(はぼまいとう)、色丹(しこたんとう)の四つの島ですね。

島といいましても意外に大きな島です。
特に択捉島は沖縄の約2.5倍ほどもあります。
ここの島には、アイヌという民族が住んでいました。
江戸時代頃でしょうか、そのアイヌという民族と、北海道にあった藩(大名(お殿様)が支配していた地域のこと。北海道は松前藩)が、交流をしていきました。
そうやって交流をして、日本と北方領土はつながっていき、1800年に日本の領土だと主張したのです。
しかしながら、この頃から日本とロシアはこの島をめぐって、争っておりました。
月日は経ち、1855年に「しっかりとどっちの領土か決めましょう!」ということで、「日露通好条約」という条約が結ばれたのです。
これは静岡県の下田で結ばれたので「下田条約」などとも別名で呼ばれています。
この条約によって択捉島から上はロシアのもの、択捉島から日本側は日本のものと決まったわけです。
この時代は江戸時代から明治時代へ変わる激動の時代でもありました。
しかし、ここでどちらも譲ることができなかった島がありました。
樺太島(からふととう)です。
この島、かなり大きいです。
やはり大きな島と言うのは、ロシアにとっても日本にとっても魅力的ですよね。
双方、譲れませんでしたが、こんな風に日本は提案しました。
「じゃあ、樺太島はあきらめるから、代わりに千島列島はちょうだい」
この提案でロシアも納得して、日本とロシアは1875年に「千島樺太交換条約」を結んだのです。

さあ、樺太島はロシアのもの、千島列島は日本のものと決まりました。
ところがその後、大きな事象が起こります。
1904年に起こった日露戦争です。
日露戦争で、日本は大国であるロシアに勝ちました。
そして、降伏したロシアと日本で「ポーツマス条約」が結ばれたのですね。1905年のことです。
この条約によって、なんと樺太島の半分は日本のものとすることができました。
戦勝国とはいろいろなことを有利に決められるのです。樺太島は「南樺太(みなみからふと)」と名づけられました。

その後、約40年間ほどは日本とロシアはさほど何もありません。
ただこの約40年間の間に日本とロシアの間では「日ソ中立条約」というものを結びました。
これは「日本とロシアはどちらも相手の国に攻め込むのをやめましょう」というもので、いわゆる事実上の平和条約なんですね。
ですが、またまた大きな戦争が起こります。
1941年に起こった太平洋戦争(第二次世界大戦)です。
この太平洋戦争が起こる前からロシアはある国のことを懸念していました。
ドイツです。

実は日ソ中立条約を結んだ本当の理由といいますのは、ドイツが関係しているからなんですね。
ドイツとロシアは仲が非常に仲が悪く、もしドイツが責めてきて、それに加えて日本もロシアに責めてきた場合、ロシアは挟み撃ちになってしまいます。
ですから、日本と「日ソ中立条約」をとりあえず結んでおいて、日本からは攻められないようにしていたのです。
しかし、太平洋戦争が勃発。
ロシアはアメリカにそそのかされて、日本に宣戦布告をするのです。
「日ソ中立条約」といいますのは本当でしたら1946年4月25日までは有効なのですが、ロシアはこれをこれを無視するかたちとなるわけです。
長い戦いの末に、日本は1945年8月14日に日本は降伏します。
しかし、日本は終戦を迎えた以降もロシアは日本へ侵攻します。
何故なら、太平洋戦争はアメリカとの戦いですから、日本が降服したところでロシアは関係ないのです。
こうして、同年のに択捉島(8月28日)、国後島(9月1日)、歯舞島(9月3日)とロシアは侵攻していくのでした。
次回に続きます。
▼大佐のブログが本になりました。

自己紹介
ブログ管理人:大佐

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2016/12/18(日) | 国際事情のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)