全国の神社で次々と砲弾が見つかりニュースとなっています。今回はこのニュースをわかりやすく解説したいと思います。
みなさんももしかしたら近所の神社で大砲の砲弾を見たことがある人がいるかもしれません。
あるいは当たり前に置いてあり過ぎて、単なるオブジェとして目に留まらなかったかもしれませんね。
現代ではあまり考える人は少ないとは思いますが、日本ではいろいろなものに神が宿る「八百万の神」という考えがあります。
石であったり水であったり、日常的に使う傘や茶碗にも神が宿っていると考えられてきました。
そしてもちろん「鉄」にも神が宿っていると考えられていたわけです。
恐らく「八百万の神」から枝分かれしていったかと思いますが(詳細は不明)、この鉄に対しては「鉄器信仰」という信仰が広まりました。
鉄を作る際は必ず火を使いますよね?
火はご飯を作ったり、お風呂を沸かしたり、自然的なもので言えば噴火や雷火(ライカ)といったことで、これも信仰の対象でした。
この「鉄」と「火」が一緒になって作られた「鉄器」というのはやはり二つの神が作り出した特別なものに感じ「鉄器信仰」という形になったようです。
鉄器信仰があった当時、鉄で作られたものと言ったら何でしょうか?
そう、「刀」や「太刀」ですね。(まあ鍋とかもありますが)
刀は砂鉄と炭から「玉鋼(たまはがね)」というものを作り出し、これらを何度も火の中に入れてハンマーで叩くという工程によって作られます。
ですから火と鉄の関係は絶対にかかせませんし、恐ろしく手間隙をかけて作られます。
このようにして出来上がった刀は武士の魂というように神が宿る大変崇高なものとして奉られて、神社などに奉納されたりしました。
確かに今の時代でも博物館などで名刀を見るとなんだかゾワッと感じる(私だけ?)のはそういった先人たちの考えを受け継いでいるのかもしれません。
さて、神社にある砲弾というのも恐らくそういった「鉄器信仰」という信仰に基づいて奉納されたようです。
砲弾も鉄でできてますからね。
全国の神社にある砲弾は日清戦争(1894年~1895年)ごろからのもので、大変古いものです。
そのころはまだ、鉄器信仰が心の中に生きていたんでしょうね。
命を賭けて戦う当時の兵隊さん達も出兵前に神社などで戦勝祈願し武運長久(出兵した兵士がいつまでも無事でいるということ)を祈りました。
そして無事に帰ってきた時に、大昔の人達の信仰と同じように戦場で手に入れた戦利品を砲弾を神として奉り、神社へと奉納したというわけです。
日本の文化や信仰を考えさせられるものですね。
ですから転がして遊んだりするのは非常に無礼なことですし、何より爆発したら大変です。
中には信管(砲弾の弾頭や底についている点火・爆発させる装置)がついたままのものもあるそうなのでそっと眠らせてあげるか、気になったなら最寄の警察や神社の神主さんに言いましょう。
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ブログ管理人:大佐

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2017/06/06(火) | 宗教・戦争のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)