香港がイギリスから返還された歴史と理由をわかりやすく解説して下さい



香港がイギリスから返還され20年経ったことがニュースとなっています。
今回は香港とイギリスの歴史や何故返還されたのかをわかりやすく解説していこうと思います。



香港は中国の南部に面しています。人口は約7235000人、中国語や英語が主に使われています。

大都市には銀行や証券会社と言った金融機関が多く存在しており、その為ロンドン、ニューヨークと並ぶ『世界三大金融センター』の一つとして栄えています。カジノも有名ですよね。

このような香港ですが、1997年7月1日に歴史的な事が起こりました。
イギリスからの中国返還です。

中国の清とイギリスが関係を持ったのは1700年頃です。二つの国はいろいろな物を輸出したり輸入したりと交易がなされていました。

しかし、イギリスはこの交易によって膨大な赤字を出してしまいます。

イギリスが輸出したのは時計や望遠鏡と言った一般人があまり手にできない物しか輸出するものがありませんでした。一方、中国の清は安くて品が良い茶葉を大量に輸出していました。イギリスでは紅茶が大流行していたので、輸出を停止させる事も不可能。

そこでイギリスはとんでもない物を輸出します。
アヘンです。

もちろんアヘンは清で禁止だったのですが、清はこの時代に衰退期を迎えており、「ダメ!絶対!」と唱える物もおらず、次々に密輸されて大流行します。

茶葉での利益もアヘンの輸入量が上回り今度は清が貿易赤字となりました。
流石にこれではイカンという事になり、清の道光帝(どうこうてい)という方がアヘン禁止令を出し、またイギリスの貿易商が持っていたアヘン23000箱を没収して捨ててしまいました。

これに怒ったイギリスは、軍艦で清の沿岸部に軍艦で迫り発砲。
これが俗に言う『アヘン戦争』の始まりです。

強大な軍事力を持ったイギリスに清はなす術なく敗北し、結局は1842年に極めてイギリスに有利な南京条約を結びました。

南京条約には清に多額の賠償金を払わせたり、清の貿易業者を廃止させたり(廃止させる事でイギリスは自由に貿易ができるようになってしまう)と、いろいろ書いてありましたが、この条約の中に香港島を割譲させる事も書いてありました。

割譲というのは簡単に言いますと、あげてしまう事です。

話は少し戻りますが、イギリスが中国に香港を返還したという事ですが、この歴史を見ますとイギリスにあげているわけですから、返還すると言うのは変ですよね?

実は後にイギリスはこれだけではなく、九龍半島(くーろんはんとう)をも割譲させました。これも戦争によって北京条約によって行われます。

さらに1898年には今度は九龍半島の一部にある新界という地域を租借させることになったのです。

租借っていうのは借りるってことです。

まとめますと
●香港島・九龍半島・・イギリスにあげた(植民地)
●新界・・・イギリスに貸した(貸してるだけ)



この貸した新界と言う地域がキーワードでして、イギリスに貸した期限が99年と言う期限だったのです。

それから99年という長い年月が過ぎ、貸した新界を返す期限が近づきました。

イギリスは当時かなりの財政難でした。
中国は凛として新界は絶対に返して貰う!しかし新界だけでなく、香港島も九龍半島も返して貰う!返さないなら戦争だ!

と、強く主張しました。

財政難なイギリスは今ここで戦争しても仕方ないし、戦争にはたぶん勝つかもしれないけど、そこまでして香港島や新界を手に入れておくメリットがなかったため、全てを中国に返す事にしたのです。

こうして、1997年7月1日にイギリスから返還されたわけですね。

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自己紹介
ブログ管理人:大佐
大佐
趣味は家の掃除からバイクまで幅広く。 IT関係の会社員をしながら、当ブログの更新や若い方中心にニュースをわかりやすく解説しています。 また、WEBライターのお仕事もさせて頂いています。 ライターのご依頼はコチラ

2017/07/02(日) | 国際事情のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)

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