ハンセン病元患者家族の訴訟で国が敗訴確定を受け、安倍首相が元患者の家族と面会をする事になりました。
今回はハンセン病とは何か?をわかりやすく解説して行きたいと思います。
ハンセン病は昔、「らい病」と呼んでいました。
これは「らい菌」と言う菌によって発生する事がわかったからですが、らい菌を発見したノルウェーのハンセン医師から取って「ハンセン病」と呼んでいます。
らい菌とは抗酸菌の一種で、細菌の仲間です。
結核なんかもこの抗酸菌の一種によって引き起こされます。
31度ぐらいになると、らい菌にとっては適温の為に体内で増殖します。
感染すると次の様な症状が出ます。
◼︎皮膚に皮疹((ひしん)皮膚に出る発疹のこと)が出る
◼︎皮疹は赤だったり白い班模様で出現する
◼︎知覚に麻痺などが出て、熱い・冷たいなどがわからなくなり、ほっておくと重い神経症状が残る(これはらい菌が末梢神経を侵してしまうからです)
らい菌の感染力は非常に弱く、人にはほとんどうつりません。今の日本ではハンセン病にかかるのは年に1人とかです。
じゃあなんで昔の人はかかったかというと、やはり衛生状態や栄養状態が悪かったからです。
ですから貧しい国などに行きますとハンセン病を発症する人達は今だにおります。
ハンセン病の治療は現在、3種類の抗生物質を投与する事ですぐによくなりますが、やはり早期に治療する事が重要です。
昔はハンセン病は不治の病として恐れられていました。
当初はハンセン病にかかると、家を出て放浪する人達がいました。治療方法が無かったので、こうして他の人にうつらないように故郷から出て行ったのです。
やがて1929年には各県で「無らい県運動」という、ハンセン病にかかった人を施設へ入れて隔離しようという運動が全国的に広がりました。
映画「もののけ姫」でも包帯を巻いた人達がいましたが、この人達もハンセン病で隔離されていましたよね。
警察官を伴った医師が来たり、施設の人達が度々訪問しに来るので、ハンセン病の噂が村中にすぐ広がり、仕方なしに隔離施設に移動させられてしまいました。
さらに1931年には「癩予防法(らいよぼうほう)」という法律が出来てしまいました。
ハンセン病を根絶しようという考えで、各地に療養施設が作られ在宅で療養している人を今度は強制的に隔離する政策がとられたのです。
国民にとってはこうなるとハンセン病を非常に恐れるようになり、ハンセン病患者はもちろん、家族までが差別や偏見の対象になってしまったのです。
ハンセン病患者は施設で大変苦労をしました。
施設ではハンセン病患者がハンセン病患者の看護や介護、さらには亡くなった人の火葬までをもやらされたと言います。
不満をもらすと監禁所に閉じ込められたり強制的に不妊治療もされた事例もあり、差別され、もはや人権はありませんでした。
1953年になると「癩予防法(らいよぼうほう)」が「らい予防法」という新しい法律に変わりました。
この新しい法律が出来る前にはすでに「プロミン」という特効薬は出来上がっていて、患者達は猛反対するのですが政府はこの法律を可決させます。
らい予防法は、強制隔離に続いて施設に入った場合、結局の所は死ぬまで施設にいるしかない法律でした。
「近い将来改正する」とは法律に書かれてありましたが、これが一向に改正されませんでした。
その後、徐々にハンセン病は治るという事が国民にも知れ渡り規制も緩くなったのですが、施設から出ても家族と断絶されていたりして、帰る場所がなかった方もいらっしゃいました。
そして1996年、らい予防法はようやく廃止されました。
もと患者が国に対して怒るのも無理はありません。
ハンセン病元患者達や患者の家族は国から人権を奪われた事で訴訟を起こして国が敗訴したのです。
今後、ハンセン病患者や家族に安倍首相が面会をする事となり注目されています。
これが今回のニュースですね。
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2019/07/25(木) | 時事のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)