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イラク国内でなぜデモが起きているのか?理由をわかりやすく解説して下さい



イラク国内でデモが起こり、治安部隊との衝突などでこれまでに死亡した人の数が100人を超えました。

今回はこのニュースをわかりやすく解説して行きたいと思います。

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イラクと言えばサダム・フセイン大統領です。
「独裁者」というレッテルが貼られた非常に有名な大統領でした。

サダム・フセインは1979年7月16日にイラクの大統領となり、20年間以上も大統領となっていました。

しかし、2003年3月20日にアメリカが主体となってイラク戦争が起こり、4月9日にイラクの首都バグダッドが占領されて逃亡。

その後、アメリカ軍に捕まり裁判をかけられて、2006年12月30日に死刑が執行されました。

ではフセイン大統領が君臨していた時代のイラクはどんな情勢だったのでしょうか?

フセイン大統領はイスラム教の「スンニ派」です。生まれたイラク北部のティクリートがスンニ派だったからですね。

イスラム教はスンニ派とシーア派に大体分かれています。預言者ムハンマドが亡くなってから、誰を後継者を誰にするかで宗派が分かれたのです。

血統で選んだ宗派をシーア派、そして血統とか関係なく選ばれた人を後継者にしようというのがスンニ派です。

このスンニ派はイラクでは少数派でしたが、フセインが大統領に選ばれますとスンニ派の部族で周りを固めてしまいました。

フセイン政権が強固に固まると、秘密警察を使って反対派勢力を徹底的に排除(粛清や暗殺)して、自身を崇拝させるように国民に強要させました。

(ただし、国内のシーア派を弾圧したりはほとんどしませんでしたが、反対する者に対しては容赦なかったようです。)

この時、顕著に仲が悪くなった国がイランです。

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1980年9月にはイラクに対して威嚇的な態度を取るイランが中東の脅威となり得ると判断し、奇襲攻撃を行ってイラン・イラク戦争を開始しました。

戦争は1988年に停戦しましたが、両国で何十万人もの死傷者を出し、軍事費で多額の借金をしたイラクはさらに軍備を固め、今度は1990年にクウェートに侵攻しました。

クウェートにある石油資源を手に入れて、疲弊したイラク経済を復活させしようとしたんですね。

しかし世界中で非難されて経済制裁(貿易をやめたり、銀行を凍結させて取引しないようにして経済的に追い詰める事)が発動。

アメリカも軍事介入をして、ついに1991年に湾岸戦争が起こり、イラクは6週間後に撤退しちゃいます。

イラクが敗退した事によってイラク政府軍が弱くなったこの機会を逃すまいと国内にいたシーア派やクルド人と呼ばれる反政府軍が力をつけます。

しかしイラク政府軍はこういった反政府軍を化学兵器(毒ガスなどの事ですね。国際法で化学兵器の使用は禁止されています。)を使用し殺害しました。

これについて何度か調査がされ、アメリカがイラク国内でどんな兵器を持っているか査察団を派遣しようとしましたが、これをイラクは拒否します。

アメリカはイラクが大量破壊兵器を持ってる!と言う結論に達し、2003年にアメリカがイラクを攻撃してイラク戦争が始まり、イラクが負けたのです。

ここまで話すと、イラクは戦争ばっかしてんな・・と思った人もいるでしょう。

しかし、フセインと言う独裁者、イラクと言う国の存在は実は非常に中東とイラク国内のバランスを保っていた存在だったんです。

中東がなんでこんなに複雑で内戦や混乱が起こっているかと言うと、宗教と石油の利権がほとんどです。

そこに中東の国々から共通の敵としてイラクがいれば、目的が持てます。そしてイラク国内でも独裁的とは言えども国内の宗教対立や民族紛争も起こりにくくなります。

ちなみにフセイン政権では女性も比較的自由でした。(厳格なイスラム教だと女性が働いたり勉強はダメ)

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ではフセイン政権時代のイラクがわかった所で、今のイラクを見ていきましょう。

イラクが崩壊した後、勢力を伸ばしてきたのが「IS(イスラーム国)」と呼ばれる過激派集団でした。

ISは厳格なイスラム教(スンニ派)が正しいとして、イスラム法に沿った国を建国をする為に聖戦(ジハード)をして、領土を急速に拡大していった集団です。

イラクが戦争に負けて、新政府がまだ軌道に乗っていない状況下で米軍が撤退してしまった所を、狙ったのがISです。

厳格なイスラム教を守る集団なので、それにそぐわない場合は処刑したり、拉致や強奪などをして非常に手荒な手法を用いました。

イラク新政府はISの侵攻に非常に手を焼き、空爆を繰り返し行ったり、市街戦や爆破テロが起こってしまいました。

またイラク新政府がシーア派となった為、スンニ派との宗教対立が起きてしまっています。

イラク新政府の力がないので宗派を力で押さえつける事ができなくなってしまったのです。

今まではシーア派とスンニ派の方でもあまり気にせずに結婚した事もありましたが、今は相手の宗派を気にするようになっています。

こういった宗派争いやIS、新政府の脆弱性などによって国内の経済状況はほとんど良くなっていません。

こう言ったことから高い失業率と物価高によって国民の不満が起こりデモが発生しているのです。

これまでに治安部隊との衝突などで死亡した人の数は100人を超えました。

今後、状況が変わるかは不透明な状態です。

これが今回のニュースですね。
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ブログ管理人:大佐
大佐
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2019/10/10(木) | 宗教・戦争のお話 | トラックバック(0) | コメント(0)

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